中央部の湊公園を挟んで北側は唐人船載の荷物蔵として埋められた所で、幕末以後中国人居留者が進出して貿易商を営む中華街が形成された。 中央部で十字に交差する道沿いは、中華料理、中国物産の土産品を扱う店が並ぶ商店、飲食街としてにぎわい、昭和61年東西南北の入口に中国の材料・技術者を投入して牌楼門が完成し、中華街の面目を一新した。