茂木浦は、薩摩のほか島原、肥後、天草、久留米、肥後熊本などを往来する船が係留する地で浦見番らが出入りの船を改めた。 幕末期に中国南部から大果のビワが長崎代官所にもたらされたのが、茂木枇杷の始まりとも、弘化4年茂木村北浦に三浦ヨシが唐船からビワの種をもらい受けて植えたのが広まったともいう。