江戸期は長崎外町の1町であった。 長崎港に注ぐ中島川河口右岸に位置する。 寛永11年従来から長崎市中に雑居していたポルトガル人を集住させるため、長崎の有力町人25人の出資によって造成が始められ、同13年起立した。長崎港に突出した扇形の島からなり、面積は13万3,000uであった。同16年のポルトガル人の国外追放後は全くの空き地となったが、同19年平戸からオランダ商館が移転してオランダ人居住地となり、鎖国下では唯一のヨーロッパの窓口となった。