江戸期は平戸城下本町通十六町のうちの1町。また、宮之町・本町・安富町を総称する町名でもあり、この場合には平戸城下本町通六町の1つであった。町名は地内に鎮座する七郎宮に由来する。七郎宮は波打際の磯部にあったが、戦国末期異国船の入津のため海岸部が埋め立てられて広小路が形成され、広小路に町が起立し、にぎわいを見せたという。鎖国後の平戸は藩主の奨励もあり鯨漁の中心地となった。
平戸市を代表する古くからの商店街となり、呉服店・金物屋・電気製品店・酒屋・書店や銀行が軒を連ねている。このほか地内には、藩校の維新館跡、百畳敷大広間を備えた妓楼田口楼があった。