稲荷山宿は、善光寺街道の重要な宿駅である。 善光寺道は、北国街道の篠ノ井追分から分岐して稲荷山宿桑原宿を通り、猿ヶ馬場峠を越えて松本藩領を経、中山道の洗馬宿に至る街道で上方との間の重要な通路であった。
稲荷山宿の成立は、天応10年、上杉景勝の川中島領有の時、稲荷山城の築城とともに成立したものと考えられている。 本陣兼問屋1、伝馬負担は人足25人、馬25匹と定められた。宿の中で伝馬を負担する家は役屋敷といわれ、109軒あった。本陣は根本家が世襲している。
稲荷山宿は、伝馬継立と、この地方の商業の中心地として栄え、明治期に及んでいる。