街並みの名称 | 田口(龍岡城) | 地図 |
所在地 | 佐久市田口 | |
訪問日 | 平成30年10月30日 |
佐久南部の地に在国支配の城郭を新設したのは三河奥殿藩であった。陣屋を設け代官による支配を続けたが、文久2年(1862)参勤交代制度が改正され、3年に1回100日の在府で妻子は自由帰国が許された。3年に1回100日の在府で妻子は自由帰国が許された。これが契機となり、4000石の三河領では城地が手狭なため、知行支配の陣屋のあった田野口村に移り藩名も田野口藩と変えた。新城郭運営は幕府許可を得て、同年9月縄張り、11月工事に着手し、慶応2年(1866)竣工した。フランスの築城家ボーバンの考案した陵堡築城法という斬新な城であった。総工費4万余両の多くは、領民の献金や御用金で賄われた。用地1万坪と構築用石材・用材も領内各地から献上された。 龍岡城の北側に、高札場が設けられた小さな城下町がある。この町は、群馬県の下仁田に通じる街道の宿場町でもあったのかも知れない。 |
五稜郭の龍岡城 |
龍岡城平面図 | 高札場 |
唯一の洋館(郵便局か) |