街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   高野町 地図
 所在地  南佐久郡佐久穂町高野町
 訪問日  平成30年10月30日


 江戸時代、17世紀後半の約50年間、当町を含む佐久地域は、甲斐国に拠点を置く徳川綱重・綱豊父子二代の支配下に置かれた。甲斐徳川領と呼ばれるこれらの領地のうち、佐久南部地域の支配のため、高野町に陣屋が置かれた。その後、元禄14年には佐久南部地域が幕府領に編入され、幕府の陣屋が高野町に設置された。さらに享保10年(1725)、佐久郡19か村を領有した旗本・水野氏が高野町に陣屋を置いた。

 当町の領域の大部分が幕府領に編入された江戸時代後半には、陣屋の整理が進み、中之条陣屋(坂城)または御影陣屋(小諸)が佐久郡の管轄役所となった。このため高野町の政治的な中心地としての役割は薄れたが、以後も佐久甲州街道の宿場町として栄えた。

 高野町の宿駅が設置されたのは、幕府による五街道の整備が進められた慶長101605)年代につぐ時期であると考えられている。宝永5(1708)年には、宿場に問屋場が設置されたことに伴い、宿駅の役割が本格化するとともになった。これにより、人だけでなく物資の輸入も盛んに行われ、綿・麻・織物・魚・タバコ・紙・ショウガ・繭・蚕種・生糸・穀物・茶・人参・唐辛子・下駄等様々な物が取り扱われた。また、高野町では、定期市(六斎市)やせり駒市も開催された。(現地説明板より)


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高野町の街並み


 
陣屋跡  
   
 
   
   


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