江戸期は、はじめ幕府領、元和元年から尾張藩領となる。中山道の宿駅の一つ。 はじめ宿駅は木曽川べりにあったが、正徳5年の大洪水によりほとんどが流出したので高台の富岡に移転した。移転後の宿の規模は宿長4町35間となっている。 天保14年の中山道宿村大概帳によれば、本陣1・脇本陣1・旅籠屋24(大7・中6・小11)・問屋2・年寄3・帳付2・馬指2・人足支配2・宿建人馬25人・25匹、この宿場も慶応2年の大火で半数近くが焼失し、現在の町並みは明治初年に復興したものである。