街並みの名称 | 中野 | 地図 |
所在地 | 中野市 | |
訪問日 | 平成30年10月9日 |
高社山(高井富士)を望み、千曲川下流右岸の中野扇状地の南斜面に位置する。扇状地の傾斜面を野ともいうが、地名の由来は、平安末期に古代日野郷の中心が当地に移り、野の中心であったため中野と呼ぶようになったという。 江戸期には、はじめ森忠政領、慶長8年飯山藩領、元和2年坂崎出雲守領と伝え、その後まもなく幕府領となり、元和4年旗本河野氏領、寛永20年頃幕府領、天和2年坂木藩領、元禄15年からは幕府領。 寛永年間に金井村と西条村に幕府が代官陣屋が置かれたが、当村が幕府領になると両陣屋が統合されて当村の河野氏屋敷跡に幕府陣屋が設置され、以後中野陣屋は北信濃の幕府領6万石余、130余村を支配した。 陣屋は中町から東町にかけて立地し、東西86m余・南北64m余の面積5.8haの規模であった。このため当村内には町場が形成され、寛永年間には、中町(上・下)と西町がり、のち東町(新田町)が加わった。 |
中野の街並み |
中野県庁跡(中野陣屋跡) | |