田麦俣集落は、庄内と内陸を結ぶ六十里街道の要所であり、湯殿山信仰が盛んになるにつれて、宿場的性格を帯びてきた。このような環境の中に、この地方独特の建築様式を誇るかやぶきの民家がたくさん建てられるようになった。 旧遠藤家は、江戸時代後期の文化文政年間に建てられたものと推定される。