薩摩藩第十九代藩主、島津光久がこの近くで猟を楽しんでいたところ、いで湯を発見。光久は「これぞ天下の名泉」とばかりに、近郷の人々に多く利用させてもらえるよう、早急に湯治場を作らせたという。江戸時代から大衆のための湯治場として栄えた。