松山から三坂峠を経て高知に至る土佐街道の宿場町として栄えた。また四国霊場八十八か所第44番札所の菅生山大宝寺の門前町として繁栄、江戸時代には久万山代官所や紙方御用場が置かれた。商業が栄え、茶の名産地であった。