街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   都於郡(とのこおり)  地図
 所在地  西都市都於郡
 訪問日  平成20年8月14日 平成26年11月2日



 都於郡城は、建武2(1335)年、工藤祐経の子孫伊東祐重が築城しました。以来、伊東氏の居城として栄えました。

 佐土原城下・妻町とともに佐土原3か町の一つ。佐土原藩の5か所の外城の一つで、現在も地内に士中という集落名があるが、士中とは武士の居住地・屯集地であったことにちなむ。外城としての当町には家老または家老格の者が掛持地頭として支配を任じられており、佐土原藩の外城のなかでももっとも重要視されていたことがわかる。ただし実際には外城衆のなかから噯(あつかい)という者が選ばれて衆中の統率を行った。

 万延元年の「御城下諸外城幷寺社御船手諸扶持人分限帳」によると、都於郡外城の衆中と給地高は、武士が中小姓8人(給地総高202石)・歩行37人(同245石)・小頭26人(同136石)・足軽76人(同222石)で系147人・805石、職人が鉄砲金物師1人(同3石)・金物師1人(同1石)・鍛冶2人(同4石)の計4人・8石、総計は151人・813石である。(日本地名大辞典)

 都於郡の街を通り荒武神社を通り抜けたところに「士中」という地名が残っている。この付近に武家屋敷の風情を残す屋敷がわずかではあるが残っているようである。

 都於郡城の説明板にも、街並みが描かれていますが、現在は、古い建物はないようです。県道18号線の荒武神社の前に、昔の街並みの町割りの面影が残っているだけです。

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 都於郡城跡に建つ伊東満所(マンショ)像
(天正遣欧使節の正使としてヨーロッパにわたった。伊東満所もこの城で生まれた。)


 
荒武神社から都於郡の街並みを望む



   
 都於郡城跡  都於郡の街並みのあった通り
   
 岩乃鶴酒造  都於郡城跡の説明板 街並みが描かれている
   
 士中にある武家屋敷の家 士中(武士が集住した所)の地名
   
 本丸入口 城内の石垣 
   
 都於郡城図  伊東氏四十八城の説明板


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