薩摩藩は、藩境防備のため、「境目番所」と呼 ばれる9つの関所を設けました。去川の関もその一 つで、正式には「去川御番所」と呼ばれていました。 当時、この2つの関所の外側に位置する高岡・ 穆佐・綾・倉岡の4ケ郷を「関外四ケ郷」、関所より内側を「内場」と呼び、双方の行き来にも通行 手形を必要としました。当時から通行人の取締りが厳しい関所として知られ、「薩摩去川の御番所がなけりゃ連れて行くもの身どもが郷に」と地元の俗謡にも謡われています。(宮崎市の文化遺産より)