街並みの名称 | 清武 | 地図 |
所在地 | 宮崎市清武町 | |
訪問日 | 平成28年12月4日 |
大友宗麟を頼って豊後に逃れた伊東氏は、豊臣秀吉の島津征討に義祐の子祐岳が加わり、戦功により秀吉から船引を除く飫肥、曽井、清武が安堵されます。そして飫肥城を本城と定め、江戸時代に飫肥藩となりました。 飫肥藩領は中央の山間部で城下と清武が隔てられているため、清武郷として、中野に地頭所を置き統治されました。船引は江戸期を通じ、延岡藩と幕府領を変遷します。清武地域は南北時代から江戸時代まで約五百年の間伊東氏の所領であり、その文化を色濃く残した県内唯一の地域と言えます。 |
湯地家長屋門 |
安井息軒旧宅 |
武家屋敷の区画の続く通り | 安井息軒旧宅 |
平部嶠南生家跡 | 郷校「明教堂」跡地 |
伊東家僑墓 | 安井家墓地 |
新町 | 町割りに町人町の名残のある新町 |