都城島津家の私領のうち六外城の一つである。 現都城市域北東部にあり、現上流水町の志和池城跡を中心に、下流水町・丸谷町一帯をいう。地元の「他方人問答記幷都城諸事録」によると高2,961石余、都城士家内数は89軒あったという。 各所に歴史的な説明の標柱はあるが、麓の形態・面影は、あまり残されていないように思われる。