中世の櫛間・櫛間院を継承した地名で江戸期には高鍋藩の飛地領であった。 市の中心地に旧吉松家住宅があり、資料館として利用されている。今町は、河口に発達した漁村と思われるが、大きな住宅の並ぶ通りがあり、小さな街並みを造っている。