伊勢湾の最奥、木曽・長良・揖斐の3川が形成した河口デルタ中央部に位置する。戦国期の一向一揆の舞台として著名。 江戸期は長島藩の城下町である。慶長6年菅沼家の長島入封後に商家寺院が密集し城下町の形態をなした。長島藩の采地他地方に分散してあったため、各地から人々の往来も多く繁栄した。享保7年検地絵図によれば、家数70・人数427。町屋は下町・中町・萱町に分かれ、下町は花林院門前から南、中町は同院から北、萱町は裏町に位置した。文久元年藩の方針で下町・中町に各2軒ずつの遊郭が開設され、以後はこの遊郭を中心に繁栄した。