田辺城の北方、伊佐津川右岸の川尻に位置する。漁業、海産物製造、加工業を中心とする。 城下町田辺の漁民は、細川藤孝が田辺城を築城して以来、竹屋町、魚屋町の川尻に住して漁業を行っていたが、藤孝の田辺築城の時、水軍に劣らぬ働きをしたので、その功によって領内の波打ち際3間は漁猟が自由に認められるという権利を受けたと伝えられる。 江戸時代には、田辺藩の海子としての扱いを受け、田辺藩領だけでなく、与謝、竹野両郡の沿岸部まで出漁していた。 享保12(1727)年の火災により、城下の大部分が焼失した際、藩の命令により、下安久村の地であった現在地に移住させられ吉原町がつくられた。