街並みの名称 | 南禅寺界隈 | 地図 |
所在地 | 京都市左京区 | |
訪問日 | 平成30年1月31日 |
蹴上から琵琶湖疏水(分流)沿いには、広大な邸宅が次々と現れ、いわゆる南禅寺界隈の別荘群です。長い塀の内側はいずれも趣向を凝らした数寄屋造りの邸宅と庭園の異空間のようです。 これらの敷地は、南禅寺のかつての境内・寺領で、畑地や緩衝林として使われていました。南禅寺は徳川幕府とつながりが深かったので、こうした広大な土地を寄進され、所有が認められていたのでした。しかし、明治政府が明治4年(1871)年と明治8年(1875)の2度にわたり上知令を発布したため、京都の大寺院の所有地も召し上げられてしまいます。 以来、南禅寺界隈に用地を確保し、明治末期から昭和に至るまでの期間に、「対龍山荘(たいりゅうさんそう)」、「何有荘(かいうそう)」、「洛翠(らくすい)」、「流響院(りゅうきょういん、旧織宝苑)」、「碧雲荘(へきうんそう)」、「清流亭(せいりゅうてい)」、「有芳園(ゆうほうえん)」、「真々庵(しんしんあん) 」など、今に残る名邸・名園がこの地域に築かれたのです。 |
対龍山荘 |
南禅寺三門 | 菊水 |
「南禅寺倶楽部」 | 「八千代」 |
「無鄰菴」 | 「大安苑」 |
野村碧雲荘 | |
「洛翠」 | |
「白河院」 |