通の名は、北方に大宮と呼ばれた久我神社が立つことに由来するという大宮通。平安京の東大宮大路に当たる。 通りの下長者町と中立売通の間では縫殿寮に属する織部が、大宮絹という最高級の絹織物を作っていた。またその東側の大舎人町でも機織を手掛け、大舎人の綾を織ることで知られていた。 後に応仁の大乱で壊滅的な打撃を受けることになったが、西軍の陣跡に再び集結し、座を結び、絹織物の町を不死鳥のように蘇らせた。 大宮通を歩くと西陣町を支えた大店や機音の響く家、さらには不況下で空家となった町家の再生を目指す家など、歴史を刻むさまざまな顔が見出せる。 (京の町家小路散歩JTBパブリッシング)