千利休の子少庵宗淳は当町東側に豊臣秀吉より宅地を拝領、不審庵と残月亭を建立。その子宗旦は三男宗左にそれらを譲り今日庵を建設した。のち表千家・裏千家の基礎が確立し、宗旦が今日庵を号し、その子宗左が不審庵、宗室が今日庵を受け継ぎ、代々襲名し現在に至っている。 なお、当町付近は、古来より寺之内といわれるように寺院が多く秀吉政権下、本法寺・妙顕寺・妙覚寺などが移され、寺町としての性格を強くした。