祇園新地のうち。洛外町続町の1つ。延享2年以降知恩院領の畑地を開いて町地とする。青楼妓楼が多く軒を並べ、のちに祇園内六町の1つとして祇園新地の一画を占めるに至った。 なお当町中央の新橋通から四条通に通じる南北の道を切通といい、延享から宝暦の間に開通とされる。また東西を結ぶ富永町通はもと古道(ふるみち)通と称した。