街並みの名称 | 中書島 | 地図 |
所在地 | 京都府伏見区 | |
訪問日 | 平成20年12月29日 |
堀之内村域の宇治川に形成された中洲「中書島」北部に位置する。中書島は城下町時代は、脇坂中務大輔安治の屋敷地で、中務大輔の唐名である「中書」が地名となった。 江戸期になると脇坂屋敷は機能を失ったが、元禄12年9月2日御香宮社氏子の大塚小右衛門・丸屋五兵衛らが御香宮社とともに中書島新地の開発願書を奉行所に提出し、同年11月に許可を得て開発に着手した。開発に当たっては、南浜町との間に蓬莱橋、東浜町との間に今福橋を架け、翌13年に深草大亀谷即成院から多聞院を移して長建寺を興した。また、同年7月には阿波橋西方の柳町・泥町の両遊郭を移して柳町と称した。中書島は宇治川派流をめぐる船舶の停泊地としてにぎわっている場所に相対しているので遊郭の設置は伏見浜をより活気づかせた。 「伏見大概記」によれば、中書島遊郭には、36軒の茶屋株と茶立女20人が認められていた。享保13年から110年を経た天保年間には、茶屋は46軒に増加し、芝居小屋が1か所できるほどの繁昌ぶりであった。 |
中書島の街並み |
簾の掛る街並み |