口大野の町並みの西側に丹後ちりめんの工場が多い。縮緬業は、文化6年(1809)に耕作をおろそかにするとの理由で、藩では新機の営業を停止、また増加台数を調べて課税するなど圧迫が加えられていたが、農村の機屋の成長は著しかったようである。 外部資本の参入を防ぎ、地場による機屋の大会所が、口大野に設けられている。