地名の由来は、垂仁天皇の時代、天湯河板挙命が、但馬から当地水江へ来たり、水に浮かぶ白鳥をとるべく松原村遠津神に願って水江に網を張ったことによるという。 絹織物が江戸期を通じて細々と続けられてきたが、縮緬の製造が隆盛に向かったのは、江戸期で享保年間(1716〜36)には、102台の手織織機が動いていたようである。