江戸期は、福知山藩の城下町。城主はめまぐるしく変転したが、寛文9年常陸土浦の朽木氏により当地体制はようやく定着をみる。 福知山は、城下町であるとともに、城下町を東西に走る魚ケ棚通東端には上船戸、広小路東端には下船戸の船着場が置かれ由良川の水運を利用した物資集積地としても機能した。