街並みめぐり
                                                                          

街並みの名称   馬見原  地図
 所在地  上益城郡山都町馬見原
 訪問日  平成23年5月4日


 
 馬見原は、肥後の熊本と日向の延岡を結ぶ日向往還の国境の町であり、また阿蘇と九州山地の椎葉を結ぶ道路が交差するところで大関所が置かれていた。
 交通の要衝であることから物資の集散地あるいは流通の拠点として、肥後藩はもとより豊後(大分県)の竹田、日向(宮崎県)の三田井(高千穂)や椎葉など他藩の商人達も集まる交易の盛んな宿場町となり、江戸中期から明治・大正・昭和の始めにかけ繁栄しました。
 明治22(1889)年には阿蘇郡内で最初に町制が敷かれました。また、当時の町には、商家が軒を連ね、造り酒屋16軒、芸妓置屋5軒、茶屋7軒などあって、大いに賑わっていました。
 大正年間には750人収容の劇場「花園座」や外観三層の内部四層の上に望楼がついた特異な建物もあった。
 明治35年には若山牧水が訪れ、「馬見原はシャレタ町ナリ」と印象を残し、大正15年には種田山頭火が訪れ、「分け入っても分け入っても青い山」と有名な句をのこしました。

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馬見原の街並み 


 
 新八代屋 元の建物には望楼があった。




   
 坂道に街は形成されている 修景が進んでいる 
   
 旧様式の建物が一軒だけ残っていた  新八代屋


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