本格的な町の発展は、小西城の築城後で、小西行長は重臣を城内に、諸士を塩田馬場、南段原に武家屋敷をつくり居住させ、24万石の城下にふさわしく本町筋七丁と新町筋をつくり、足軽などの屋敷と町屋を置き経営し、町並みの基礎がつくられた。 その後、慶長5(1600)年加藤氏領となり、正保3(1646)年、宇土支藩の成立により、細川行孝は陣屋を置きこの地を治めた。 船場川に沿った船場町には、蠟搾場や舟運による商品の荷揚場があった。石瀬小路には宇土倉庫が置かれ、御蔵奉行所や会所もあり、御船手と称する宇土藩水軍の主力もここにあった。