日清・日露戦争頃からにぎわいを見せた二本木遊郭は、明治42年業者61・公娼911を数え、昭和5年の業者70軒、大正5年の娼妓数は881人であった。 昭和31年の売春防止法により公娼制度は全廃され、同33年業者は旅館や料理店・飲食店などに転業した。