城下町としての熊本は、応仁・文明年間(1467〜1487)の千葉城から明応年年間(1492〜1501)の隈本城にはじまります。 その後、古町・新町のある城下町は、加藤清正の熊本城の築城とともに作られ、細川藩時代の文化的蓄積の時代を過ごし、明治に入り西南の役や戦災による焼失を経て、商業地と住宅地が混在する姿になっています。 古町は、町人町として建設され、細工町、呉服町、鍛冶屋町、大工町など職名が記され、町名に由来する種々な商品を扱う店が並びました。