湯の浦川ほとりの田園温泉で、湯浦の地名は南北朝期から見え、「肥後国誌」湯浦本村の項にも「温泉 街道ノ傍二アリ」と見える。寛政2年の大洪水で川筋の温泉はほとんど潰れ、明治〜大正期に再開された。 文豪徳富蘇峰や南極探検隊白瀬中尉なども湯宿したという。湯の浦川沿いに田園のなかに散在、ひなびた温泉町である。