リアス式海岸をなし、里浦では真珠養殖が行われ魚貫崎には釣人が集まる。 昭和36年をピークとして天草無煙炭の産出が行われ、当時は、久貫、魚貫、権現山、南天、牛深に鉱山事業所があった。 牛深から崎津を目指す時、県道35号線を通り、魚貫の街の旧道を通ると、決して古い建物はないにも拘わらず、旅館を思わせる建物で賑わった小さな街並みがありました。