内野川の流域に平地が開け、河口に天然の良港をもつ、温暖な気候と防府な魚群、海産物に恵まれ、早くから開かれた。 16世紀据えから約20年間長崎に在住したイスパニア商人アラ・ヒロンの「日本王国記」には、「志岐から1レゴワのところに、もう一つの深江というとてもかわいい碇泊地、もしくは小港がある。」と記され、二江港は、小港ながらも、南蛮貿易時代の寄港地であった。