当地は、江戸期には中平氏所有の新田で、明治期に山中喜馬太が檮原の中平家からこの地を買い取り在地の住人らの所有にしたという。 明治21年の戸数6・人口24(男16、女8)であったが、大正9年には、世帯数89・人口354(男194、女160)と発展し、郵便局・登記所などの官公署も設置され、行政の中心地となった。 昭和50年には、世帯数219・人口672(男322、女350)となっている。