四万十川の中流域の山間地に位置する。東山村が改称して成立した。 大正3年の戸数760のうち農業366・工業31・商業39その他280など。
昭和23年に大火が発生し537戸が焼失した。被害記録は、建物537戸で、焼失官公署は、町役場・営林署・警察・郵便局など、町の中枢を司るほとんどのものであった。町では復興のため都市計画を実施して昭和33年にようやく完成した。