慶長6年山内一豊の入国によって本山には山内刑部一照は配され、1,300石を領した。刑部一照は本山城の北方下、小さな谷を隔てて急峻な台地上にあった土居の地に居住した。その後野中玄蕃直継が土居を預かり、養子兼山も土居屋敷に居住した。 この土居屋敷を中心に小城下町的集落として発達し、小規模な町家が形成されていた。