地名は、江戸期に城下の総年寄役に任ぜられた豪商播磨屋が居住していたために、一帯が播磨屋町と通称されていたことによる。 また播磨屋と堀の対岸浦戸町の豪商櫃屋を結ぶ私設の橋は播磨屋橋と呼ばれ、のち藩の作事橋となり、この橋一帯は小売店舗の並ぶ繁華街となった。播磨屋橋はまた、よさこい節でうたわれた純真・お馬の恋物語でもしられている。 昭和33年、映画撮影用に朱塗りの欄干が作られた。昭和41年頃に堀川は埋め立てられ、プロムナード風の播磨屋橋公園となり、同46年には橋の下は地下道化した。