鹿児島藩の外城の一つで桑原郡に属して、鹿児島城下より14里の距離にあった。鹿児島藩直轄領である。地頭仮屋は、鶴丸村に置かれた。
寛永13(1636)年の堺目人数・武具注文では、人数1,346人、うち男809人となっていた。