街並みの名称 | 永野金山 | 地図 |
所在地 | 薩摩郡さつま町 | |
訪問日 | 平成22年5月2日 |
長野(永野)金山について、「三国名称図会」の横川郷の項に「大隅薩摩両州の界にして、東は当郷上之村に属し西は薩州伊佐郡長野村に係る・・・当山は寛永十七年始めて金脈あるを知り、大府の許可を蒙り、周廻三里二拾余町を定めて金山と号(な)つけ、東西に出入口あり、番所を置て出入の人を検す、東を山ヶ野口屋、西を長野口屋と呼び、後に出しは上之村なり是を山ヶ野金山と呼ぶ、官衙を所置なり・・・凡亀(ウ冠に亀)戸三百許すにして多くは陶金戸なり、人口一千にも及べども自他州の出入日々増減ありて一定せず、家ごとに沙金製法の器を設け男女其産業を勉て怠らず」と見える。 この金山開発が藩財政と地域の発展に果たした役割は甚大であり、最盛期の鉱山関係者は1万2,000余人ともいわれる。また、鉱山開発の比重が大であるため、曽木郷内でも長野地頭が別置され、藩直轄支配を強めたという。 永野金山の操業は、昭和28年閉鎖まで継続して行われた。 |
永野金山跡 |
鉱業館跡の説明板 | |
抗夫専用風呂場跡 | 永野金山発見者内山与右衛門石碑 |
武家門のある集落 |