鹿児島藩の近世外城の一つである。中之郷に位置付けられ、鹿児島藩の直轄領である。鹿児島城下から11里の地にある。地頭仮屋は、西手村二福城の麓に置かれたが、慶長年間に向田に移った。
寛永13(1636)年の堺目人数・武具注文では、人数2,693人、うち男1,589人、鉄砲122挺、弓40張、鑓29本が配備されていた。