現在の坊津町にあった中世から近世にかけての湊である。坊津湊は唐湊ともいわれ、広さ3町40間余、周囲30町余、深さ36尋から40尋余、広くて底が深いため数百艘の大船を留め、いかなる大風に対しても安全だったという。 1621年成立の「武備志」の日本考によると坊津は伊勢安濃津(津市)、筑前博多津とともに日本三津とされていた。同書の日本図には「坊津港」とともに「泊津港・久志港・秋目港」がみえるが、海外からみた坊津の呼称はこれらの港を含んでいたとも考えられる。