藩政時代の農村真孝村と島津義久が大字住吉に築いた富隈城(文禄4年)の外港としての浜之市港の集落からなる。富隈城は、文禄4(1604)年頃、国分に移るまで同城を居城とした。 義久に属した鹿児島衆がもととなって、富隈衆が生まれ、その中核となる者は,当城の周辺に居住し、城周囲には、武家屋敷を含む城下町が形成されていたと推定される。