街並みの名称 | 鶴丸城 | 地図 |
所在地 | 鹿児島市城山町 | |
訪問日 | 平成26年11月4日 |
鶴丸城の構築によって、鹿児島は守護城下から近世城下町へと性格を変化させた。拠城については天正19年頃姶良郡帖佐の瓜生野へ移す考えがあったが、島津義弘は、多くの寺院や侍屋敷を移すのが困難であるという理由によって東福寺城を本拠とするか、あるいは今の内城を改築して塁を高くし、池(堀)を深くすればよいといって瓜生野移転に反対した。そこで家久は帰化人江夏自閉に占わせたところ上之山(城内)が武運長久の地であるということで、この地に鶴丸城を築城することに決まった。 鶴丸城は、元禄9(1696)年に焼失しているので、当時の規模などはよくわからない。現在残る天保の城下絵図は再建後のものであるが、それによると城中は本丸と二の丸に分かれ、本丸には大奥・納戸そのほか書院・対面所等があり、二の丸には下屋敷のほか御用部屋その他の役所があったようである。 城下の内は武家屋敷と上・下・西田の3町に大別されるが、武家屋敷の区域のほうが広く、町屋敷のほぼ2倍強となっていた。上級武士は戦国馬場などの前通に居住し、それに続いて一般武士が住まい、鍛冶町あたりは下級武士の居住したところとして知られる。 |
鶴丸城 |
城内に立地する県立図書館 | |
黎明館 | 天璋院像 |
七高久遠の像 |