鹿児島藩外城制下で菱刈郡本城郷は中之郷に位置付けられ、鹿児島城下からの距離は13里(うち海路5里)である。麓は南浦村に置かれ、太良城跡麓に地頭仮屋が置かれて周辺に麓集落が形成された。 寛永13(1636)年の堺目人数・武具注文では、本城衆は人数1,330人、うち男810人、鉄砲56挺、弓25張が配備されていた。