街並みの名称 | 唐仁 | 地図 |
所在地 | 東串良町唐仁 | |
訪問日 | 平成21年5月5日 |
肝付川北岸にある浦町。唐人町とも記され、「とじん」とも呼ばれる。唐仁と称されるようになった時期については、諸説あり、中国などとの交易活動や渡来人の居住にちなむ地名と伝える。「高山名勝志」によれば、肝属氏没落後大塚大明神社が当地にきた唐人弥藤・鎮頭により造営されたといい、両人が居住して以来唐人町というようになったとみえる。 唐仁浦は、波見浦とともに中世以来海外との交易の拠点であったが、江戸時代中期、肝付川河口柏原との間が干拓されたことにより、湊としての機能は次第に柏原浦に移り、当町は交易・商業にかかわる浦町の役割が主となっていった。 |
イヌマキの生垣の続く集落 |
田の神 | |
大塚大明神社 | 石造の仁王 |
整然と区画された集落 | 石敢当 |