明治29年四国を管区とする第11師団司令部が善通寺村に設置された。善通寺は従来の門前町に加えて軍隊町の性格を持つようになった。 農村地域であった善通寺村や周辺の地域にとり、一万人前後の兵力をその管下におく師団があらたに立地するということは、経済的にさまざまな波及効果をもたらした。いわゆる遊郭が善通寺に設けられたのは、師団の開設を直接の原因としている。明治32年における貸座敷数4軒、娼妓11人で、町政施行時の34年には11軒、56人へと著増している。(善通寺史)