平安期の讃岐の産物として「延喜式」には、菅円座があげられている。室町初期の作といわれる「庭訓往来」にも讃岐円座と記されており、円座は平安期以来讃岐の重要な特産物であった。円座の地名は、この円座の生産された地域であったことを示している。 古代南海道と金比羅街道との交差点で多くの旅人が往来し、大変賑わった土地であった。現在、街並みとしては、残されていません。