高松藩主松平頼重は寛文年間(1661〜73)に荒廃していた那珂郡小松荘の生福寺をこの地に移して復興し、仏生山法然寺と改め、3百石の寺領を寄進して厚く保護した。これが町の由来であり、その門前町として栄えたのが仏生山町である。 仏生山街道は、別名「お成り街道」とも呼ばれ、歴代の藩主が家来を連れて先祖の墓参に詣でた道である。