かつては、砂丘地帯であったらしい。 県の南西端に位置し、伊予や琴平参詣の道筋にあたり、また、港町として古くから開けていた。 寛政元(1789)年頃には、加子6軒、船32艘、川口番所1軒、浜御蔵2か所であった。藩内の特産物でる繰綿、篠巻、砂糖などを大垣、赤間関(山口)、宇土(熊本県)などへ輸送、甘藷や綿を栽培する肥料としての鯡粕や干鰯を廻送している。